伊邪那岐命(イザナギ)・伊邪那美命(イザナミ)のご利益と神社
伊邪那岐命(いざなぎのみこと)・伊邪那美命(いざなみのみこと)の神格とご利益出典:伊邪那岐命・伊邪那美命(Art Mochida Daisuke)イザナギ・イザナミとは?天地開闢において神世七代の最後に生まれた男神と女神。「国産み」と「神産み」を行い、多くの国土(本州・四国・九州等)と、森羅万象の神々を生みます。結婚、死別、対立を経てイザナミ命は死を、イザナギ命は生を体現した神さまとなります。神格人類の起源神(イザナギ命)結婚の神(イザナギ命)創造神(イザナミ命)万物を生み成す女神(イザナギ命)ご利益出世開運商売繁昌家内安全厄除け延命寿命無病息災病気平癒縁結び夫婦円満安産・子育て産業繁栄豊作・大漁神代七代第1代国之常立神(クニノトコタチノカミ)第2代豊雲野神(トヨクモノノカミ)第3代宇比地邇神(ウヒヂニ)須比智邇神(スヒヂニ)第4代角杙神(ツノグヒ)活杙神(イクグヒ)第5代意富斗能地神(オホトノヂ)大斗乃弁神(オホトノベ)第6代於母陀流神(オモダル)阿夜訶志古泥神(アヤカシコネ)第7代伊邪那岐神(イザナキ)伊邪那美神(イザナミ)あなたの「金運」を強力に引き上げる祈祷師の護符伊邪那岐命(イザナギノミコト)出典:伊邪那岐命「Art Mochida Daisuke」名称古事記伊邪那岐神伊邪那岐命日本書紀伊弉諾尊伊邪那岐命が産んだ神イザナギの神産み衝立船戸神(ツキタツフナトノカミ)和豆良比能宇斯能神(ワズライノウシノカミ)奥疎神(オキザカルノカミ)辺疎神(ヘザカルノカミ)八十禍津日神(ヤソマガツヒノカミ)道之長乳歯神(ミチノナガチハノカミ)道又神(チマタノカミ)奥津那芸佐毘古神(オキツナギサビコノカミ)辺津那芸佐毘古神(ヘツナギサビコノカミ)大禍津日神(オオマガツヒノカミ)時量師神(トキハカシノカミ)飽昨之宇斯能神(アキグヒノウシノカミ)奥津甲斐弁羅神(オキツカイベラノカミ)辺津甲斐弁羅神(ヘツカヒベラノカミ)底津綿津見神(ソコツワタツミノカミ)中津綿津見神(ナカツワタツミノカミ)上津綿津見神(ウエツワタツミノカミ)底筒之男神(ソコツツノオノカミ)中筒之男神(ナカツツノオノカミ)上筒之男神(ウワツツノオノカミ)天照大御神(アマテラスオオミカミ)月読命(ツクヨミノミコト)建速須佐之男命(タケハヤスサノオノミコト)伊邪那美命(イザナミノミコト)出典:伊邪那美命「Art Mochida Daisuke」名称古事記伊邪那美神伊邪那美命日本書紀伊弉冉伊耶那美命が産んだ神イザナミの神生み金山毘古神(カナヤマビコノカミ)金山毘売神(カナヤマビメノカミ)波邇夜須毘古神(ハニヤスビコノカミ)波邇夜須毘売神(ハニヤスビメノカミ)弥都波能売神(ミズハノメノカミ)和久産巣日神(ワクムスヒノカミ)日本の国土や多くの神を産んだ夫婦神出典:天瓊を以て滄海を探るの図(小林永濯)画イザナギ命とイザナミ命は神話の中で一番初めに出てくる夫婦神です。数々の日本の国土を誕生させた「国生み」や、多くの自然神や文化神を誕生させた「神生み」を行なったことから、国堅めの神や生命の祖神ともされています。『古事記』には2神の出現から結婚、出産、諍(いさか)い、離婚、そして死まで語られています。はじめに行なったのが国生みで、天浮橋(あめのうきはし)に立ち2神が協力して矛で海水をかき回し、オノゴロ島を作りました。2神はその島に降りて宮殿を建てて結婚し、日本列島である大八島などの島々を生み出します。続く神生みでは石、山、木、風、海、穀物、火など多くの神を次々に生みました。その後も2神はそれぞれ独自の活動でさらに多くの自然神や文化神を生み出します。イザナギ・イザナミの神産み大事忍男神(オオコトオシオノカミ)石土毘古神(イシツチビコノカミ)石巣比売神(イワスヒメノカミ)大戸日別神(オオトヒワケノカミ)天之吹男神(アメノフキオノカミ)大屋毘古神(オオヤビコノカミ)風木津別之忍男神(カザモツワケノオシオノカミ)大綿津見神(オオワタツミノカミ)速秋津日子神(ハヤアキツヒコノカミ)速秋津比売神(ハヤアキツヒメノカミ)志那都比古神(シナツヒコノカミ)久久能智神(ククノチノカミ)大山津見神(オオヤマツミノカミ)鹿屋野比売神(カヤノヒメノカミ)鳥之石楠船神(トリノイワクスフネノカミ)大宜都比売命(オオゲツヒメノカミ)火之夜芸速男神(ヒノヤギハヤオノカミ)※火之迦具土神水蛭子(ヒルコ)淡島(アハシマ)こうして多くの神々を生み出し、いわば万物の生成という大仕事により、この世界は変化に富んだ豊かなものになりました。しかし、神生みで最後に生まれた火の神(カグツチ)を出産した際に、イザナミは陰部に大火傷し、それが原因で亡くなります。悲しみに暮れるイザナギでしたが、愛する妻を忘れられずイザナギは黄泉の国まで逢いに行きます。死んだ妻に逢いに黄泉の国へ出典:イザナキの黄泉国訪問「古事記絵伝」黄泉の国に着いたイザナギは、御殿の内側にいるイザナミと話し合います。「いとしい妻よ。私とあなたで作っている国はまだできあがっていない。どうか帰ってきておくれ」と懇願します。それに対しイザナミは「残念です。あなたが早くいらっしゃらないので、私は黄泉の国で作られた物を食べてしまいましたので、もう帰れません」と断ります。しかし、愛しい夫が逢いにきてくれたのだからと帰りたいと考え始めます。「わかりました。黄泉の国の神と相談しましょう。 その間、けっして私を見ないでください。」と言って奥へ行きます。いつまで経ってもイザナミ命が帰って来ないので、イザナギ命は妻との約束を破り黄泉の国のへ入っていきます。そこで見たのは、腐敗して蛆にたかられ、八雷神(やくさのいかづちがみ)に囲まれた妻の姿でした。出典:黄泉津大神「Art Mochida Daisuke」妻の変わり果てた姿を見て逃げ出したイザナギですが、その態度に「よくも恥をかかせたな」と激怒したイザナミ命は、「黄泉醜女(恐ろしい顔をした黄泉の鬼女)にイザナギを追わせます。イザナギは走りながら髪飾りを投げつけると、そこから山葡萄の実が生えだし、黄泉醜女はそれに食いつきます。食べ終わると再びイザナギを追いかけてきたので、次に右の角髪から湯津津間櫛(ゆつつなくし)を取り、その歯を折って投げます。するとタケノコが生えてきて、黄泉醜女はまたそれに食いつきます。その間にイザナギは逃げ切ります。この世とあの世の境界である黄泉平坂まで戻ってきたイザナギは千人がかりでやっと動かせるような大きな岩で黄泉の国への入り口をふさぎました。行く手をふさがれたイザナミは「これからは地上の人間を一日千人殺しましょう」と言い放つと、イザナギは「それならば私は一日に千五百の産屋を建てよう」と宣言しました。この後、イザナミ命は黄泉の主宰神となり、人間の死を司る黄泉津大神、道敷大神と呼ばれるようになります。黄泉の国のイザナミ命はそれまでの創世母神としての姿が一変し、禍々しい黄津大神となります。イザナミ命は神でありながら一番最初に死を体験し、それによって黄泉の国(死の国)が始まったとされます。禊と祓いの原点となるイザナギの禊出典:禊を行うイザナギ命「神代正語常磐草」黄泉の国から帰ってきたイザナギは日向の海に入り禊を行い、黄泉の国の穢を洗い流します。この時も多くの神々が生まれますが、最後にアマテラス、ツキヨミ、スサノオと貴い子(三貴子)が生まれます。これに大いに喜んたイザナギ命はそれぞれ高天原・夜・海原の統治を命じ、自身は淡路の「幽宮」(かくれみや)に隠れたとされます。古来、日本人は命を失う死を穢と感じ、穢れることを忌み嫌っていました。神は清浄であり、神から生まれた人間も本来は清浄であるべきと考えられてきました。死者の国から生者の国に戻ってきたイザナギの禊の行為は、そうした観念を反映したものです。神道の儀式において「禊」と「祓い」はもっとも重要なものです。神社に参拝する際に行う行為で、たとえば拝殿の前の手水舎で手を洗うのは、祈願する前に心身を清める意味があります。本格的なものでは川や海に入り穢を落とします。こうした儀式は、もとを辿ればイザナギが禊をしたことにちなむとされます。「お伊勢さま」は「お多賀さま」の子でござる出典:伊邪那岐命・伊邪那岐命(日本の神々辞典)より賀県の多賀大社の祭神であるイザナギ命・イザナミ命は「お多賀さま」として親しまれています。『古事記』によると「伊邪那岐大神は淡海の多賀に坐(いま)すなり」とあり、神生みの仕事を終えたイザナギ命は近江の多賀の地に鎮座したとされます。『日本書紀』では「幽宮を淡路の州に構りて、寂然に長く隠れましき」とありますが、それが国生み神話の地の伝承がある淡路島の伊弉諾神社とされます。多賀神社は室町中期以降に人気が高まり、「お伊勢七庶熊野へ三度、お多賀様へは月参り」の俚謡も生まれました。江戸時代には多賀講の信仰が全国に広がり、「お伊勢参らばお多賀へ参れ、お伊勢はお多賀の子でござる」といった俚謡とともに多賀参りが盛んに行われたそうです。イザナギ命、イザナミ命は諸々の神の生みの親です。それゆえにお多賀さまを信奉すれば、ゆく先々でさまざまな神の守護が受けられると考えられていました。イザナギ命・イザナミ命が祀られている神社筑波山神社茨城県つくば市筑波1三峯神社埼玉県秩父市三峰298-1雄山神社富山県中新川郡立山町岩峅寺1花窟神社三重県熊野市有馬町上地130多賀大社滋賀県犬上郡多賀町多賀604伊弉諾神宮兵庫県淡路市多賀740自凝神社兵庫県南あわじ市沼島73神魂神社島根県松江市大庭町563佐太神社島根県松江市鹿島町佐陀宮内73江田神社宮崎県宮崎市阿波岐原町産母127全国の多賀系の神社は境内社まで含めると、訳300社にのぼるとされます。
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